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~ 今日の風 ~

~ 今日の風 ~

小品 2



お題 「*髪を切る」
作品名「天使の輪」

息子への仕送りは、その月によって、銀行の口座に振り込んだり、宅急便で
食品と一緒に送ったり、また直接会って手渡したりといろいろだが、3月は
ちょうど新宿で友人たちと会ったので、その後、駅で息子と待ち合わせていた。

一度見渡したが、見当たらない。もう一度見渡すと、息子が私に気付いてい
た。それまでは、今風にロン毛で茶髪で軽くパーマもかけていたが、就職活動の
ために黒く短くなっていた。若返った感じで随分雰囲気が違う。髪を短くしたせ
いか、背もいつもより高くすらっと見えた。
“へーっ!潔く変わったんだぁ。”“ちゃんと心得てやっているんだぁ。”と
思った。

息子の髪は小さい頃、とてもきれいだった。黒くつやと張りがあってとても健
康な髪だった。小学生のうちは私が髪の毛を切ってあげていた。ある時期までは
夫も息子たちもみんな私が切っていた。だから、一人一人の髪質の違いはよくわ
かっていた。3人の中でもあの子の髪はとても良質だった。小さい子はみんなそ
うかもしれないが、頭頂には、天使の輪があった。それがその子の動きによって、
天使の輪も動いて輝いた。私は、それを見るのが好きだった。

大学に入ってから、だんだん長くなり、髪の色が変わり、そしてパーマもかか
った。だんだん、ぱさぱさとしたつやも張りもない髪になり、もちろん天使の輪
も消えていた。

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お題 「かび」
作品名「環境がよいとは」

うちはもう建ててから19年めになる。まだまだ住めそうだが、ちょっと手を入
れたいと思うところもある。手を入れたいと思うのは、やはり水周りだ。
この前、ソーラーハウスを見に行った。バリヤフリーで浴室も同じ高さになっ
ている。今はシステムバスで壁もタイルではなく、当然目地もない。台所と浴室
のお掃除で問題はやはりタイルの目地だ。

昔結婚したばかりの頃は、他にすることもなかったせいか、タイルの目地を
真っ白にすることに喜びを感じていた。と、こんなことを真ん中の息子が聞いた
ら何と言われることか。
今私は、家事にはあまり興味がなく、時間をかける気持ちがない。それでも、
洗濯は手抜きできず、炊事も健康に関わるし、やはり手抜きできない。とすると、
手を抜くところは、お掃除だ。犬が家の中にいることやその犬よりも汚い子がい
ることから、お互いの精神衛生上も手抜きする方がいいとも思っている。それに
しても年々その傾向がひどくなり、それは自他共に認めるところとなった。かい
ってそれを気にして代わる人は我が家にはいなくて、浴室のタイルの目地も黒く
なっていた。

毎週購入している宅配のカタログにその目地がいかにも楽にきれいになるよう
なものが紹介されていた。あまり深く考えずに申し込んだ。そして、それが届い
たのでたまにはきれいにしようと始めた。そう、深く考えずに買ったものは、塩
素系の洗剤というか、薬品に近い成分なのだろう、つーんと刺激的な臭いもする
し、ゴム手袋やマスクまで付けるように注意書きがあった。迷いはあったが、開
けてしまったので使ってしまった。
宣伝通りだった。これは要するに、漂白剤だったのだ。すばらしい効き目で目
地は真っ白になった。だけど、私の心は暗くなった。自分が楽するためにこんな
ものを使ってしまったという後悔が出てきた。世の中では、自分の身や周囲をき
れいにすることで、自分が目にしていない環境を壊している。そういうことはし
たくなかったのに、してしまった。
TVのコマーシャルでは、「蟻が巣に持ち帰り、巣ごと全滅させる」というよ
うな恐ろしいものが開発され、売られている。どうして、そんなことをするのっ!
という怒りがこみ上げる。人間は何を思い上がっているのかと思う。
でも、私もよく考えないで買って、それを使ってしまった。毎日こつこつとお
掃除していたらあんなもののお世話にならないでよかったのかもしれないのに・・・

目先の便利さにとらわれずに、住みよい環境とはどういうことなのかを冷静に
客観的に考えて行かないと怖いことになるだろうと思った。

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お題 「*クーラー」
作品名「飛び散る汗」

昨日は、劇団○の研究生の発表会を仲間と観に行った。4月から朗読の会のつ
もりで始めた会が今は完全に演劇の練習になっている。指導してくださる先生は
プロの俳優さんたちも育ててこられた方で、普通だったら私達素人のおばさんが
ご指導いただけるような存在ではない。それなのに、先生は、劇団の研究生と同
じように扱ってくださっている。感謝するばかりだ。今日は、その先生が今教え
ていらっしゃる研究生の発表会で、私達も一部同じようなことを練習しているの
で、参考になるだろうという先生の配慮でお声をかけていただいた。

研究生の若者は、私の息子も含めて私の周りで見聞きするような若者とは違っ
て、真剣に生きている様子がダイレクトに心をうつような、瞳がきらきら輝いて
いる若者たちでたくさんの感動をいただいた。

ふだんはお稽古に使っている狭い空間に100人くらいの観客がいて、クーラー
では追いつかなくなってだんだん室温が上昇してきた。だんだん見ているだけで
も不快なほどに暑くなった。
なおさら研究生たちは、その情熱的な熱気に加え、出し物によっては、身体全
体で激しく動き回るので、汗が零れ落ちていた。前に出て話す時などは、観客の
最前列の人たちにその汗が飛び散らんばかりの状態、いや、実際飛び散っていた
のが見えた。

その想いに集中した瞳には涙があふれ、汗が飛び散り、そしてある時は涎も見
てしまった。青春真っ盛りの全身全霊の演技だった。

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お題 「*脱いでいく」
作品名 「涼やかな生き方」

昨夜、NHKのTVで「21世紀への証言・マイヤ・プリセツカヤ」という番組
を見た。私は知らなかったが、ロシアに75歳を越えた現役のバレリーナがいた。
その姿はとても若く美しく元気で75歳の観念を打ち破るものだったが、その外
見に匹敵する内面のすばらしさがあった。芸術に自由がなかった時代に、亡命も
命懸けだったけれど、マイヤ・プリセツカヤさんはそれもできない環境だった。
国内での活動は制約が多く、一時は私生活にまで24時間の監視がついた。最悪の
環境の中でも一度も愚痴も言わずに貧しい環境の中でも楽しみながら踊り続けて
きた。

もちろん天才的な踊りの才能もすばらしいが、生き方もまた胸をうつものだっ
た。その人がこんなようなことをおっしゃっていた。「才能は型にはめて伸ばす
ものではない。才能はその人が生まれた時から持っているもので、それを伸ばす
のはその人の仕事だ。」と。外見も内面もすばらしく、そのお年で美しいのはや
はり内面の美しさがにじみ出ているのだと思った。言葉もその内容も立ち振る舞
いも何もかもがうっとりするほどすてきだった。とても励まされた。すてきな番
組に偶然に出会えたことに感謝!

同じように、演劇の先生も「人は誰でも生まれてきた時には、本物の強い声を
持っていた。生活しているうちに必要性がなかったので、それを発揮できず忘れ
てきたけれど、誰でも持っているのでそれを思い出せばいい。」とおっしゃって
くださる。

先生のもともと持っているものを発揮するだけという考え方は、マイヤ・プリ
セツカヤさんの考え方にも通じると思った。ないものを身につけるのではなく、
もともとあるものを発揮する。知らないうちに周りに付けてしまった玉ねぎの皮
を一枚一枚脱いでいくこと、コントロールを手放してより真実の自分に近づくこ
となのだと思う。

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お題 「*夏休み」
作品名「鍛えられる夏休み」

屋久島のペンションに泊まった時、厨房でシーフードスパゲッティに特産の
飛魚をアンチョビーのように漬け込む試作をなさっていたご主人に尋ねた。
「ご主人は、以前からお料理などおできになったのですか?」
それに対して、ご主人は
「うん、それはね、子どもの頃、母親がね、出かけると帰って来ない人でね、
それで、姉が迎えに行くのだけれど、その姉も帰って来ないでねぇ、結局
自分で材料を買って、作るしかなかったんだよね。」
とおっしゃった。
「そうなんですか!それはいいことを教えて頂きました。(^^)」
「お母さまがそうなさったことで、そんなふうに自立した男性になられたなんて、
いいですねぇ。」
私は、うれしくなった。“うん、これがいい!これでいけたら、最高だわ”と思
った。

そのことを実際どのように展開させようか・・・・と思っているうちに、夏休みが
きた。

今、二男と三男は高2と中3で、ちょうど難しい年頃だ。毎日自分の都合ばかり
で家族に合わせることも妥協することもまるでなく、気ままに暮している。その
上、二男はとても横柄な態度だ。どうしてこんなふうな目に合わなければならな
いの?!と怒りを感じるような扱いを受けることもある。ふたりとも自分の都合
は押し付けるが、人の都合など考えない。特に母親の都合などはまるで意識にな
い。起きるのも出かけるのも、食べるのも食べないのも、みんな自分の都合で、
しかもいきあたりばったりだ。

二人とも勉強にはまったく興味もなく、遊ぶことが楽しくてしかたがない様子
だ。私達夫婦は中高生の時もまじめに運動も勉強もした方だし、時代の違いも大
きくて、あの子達の意識に近づくことは難しく、理解する以前に結局は押し切ら
れるような形だ。

夏休みに入ると、二人とも髪の毛を茶髪というか金髪というか、とにかく派手
な明るめな色にした。
起きて朝かお昼かわからない食事をとったかと思うと、遊びに出かけ、お昼に
戻ったり戻らなかったり、夕飯も時間は限定できず、早く食べるとまた出かけて
しまったりもする。

バイクを乗り出した二男は部屋が暑いという理由もあるのかないのか、本当は
別なのか、夜な夜な川や海や山に出かけて帰宅は午前様が珍しくない。つい河原
で寝てしまったとか、5時に帰ったということもあった。バイクを乗り出す時、
借金を申し込まれて、「帰るまで心配だから、ちゃんと約束した時間に帰ってく
るか、連絡をしてね。」と約束して貸したはずなのに、その日から破っている。

三男は、友人がやたら多くてその友人たちから誘われるままに、一度出たらな
かなか帰って来ない子だ。そして、そのあげく夜11時半に友人の家に泊まりたい
というのを賛成できないと断ったその真夜中に、私達が知らないうちに家を出て、
2日目に一度電話があったものの、結局4泊帰らなかった。携帯電話へは、こちら
からかけてもいつもつながらない。携帯電話は親には役に立たないのだ。
帰ってきた子はさっぱりとして言った。「夏休みだから、遊びたかったから。」
「楽しかった」と。

鍛えられるのは、私の方だった。今日は、八月八日。まだ夏休みは半分以上も
ある・・・・・・。

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お題 「*夏の空」
作品名「大きな空」

私は、空を眺めるのが好きだ。今、夏の空は高く青く美しくいつまで眺めてい
ても飽きることはない。多くの人はあんなに美しい空を見ることもなく何を求め
ているのだろう。なぜ、空を仰ぐこともなく通り過ぎるのだろう。

先月、信州で久しぶりに大きな空を見て感激した。あんな大きな空を見たのは
久しぶりだと思った。

そう思っていると、先日、そう遠くない田んぼの中を通り抜ける新しい道を海
に向って行った時、大きな空を見た。向かう方向に180度大きな空が広がってい
た。こんな近くに同じような大きな空があったのだ。知らなかった・・・・。

その同じ道を帰る時、西の空には白い雲が低く連なっていた。そして、その一
部の雲がとりわけ明るく光っていて、その上空はそこに線を引いたように空の色
が違っていた。右の方はきれいな水色だったが、左側は光を感じさせる色で、左
に行くほど茜色がかっていた。さらによく見ると、その光る雲から幅狭く放射状
に光が天に向って伸びていた。

高い雲の切れ間から射し込む光はよく目にする。天使の梯子という名前も美し
く、天と地を結ぶ梯子のようで神々しい。しかし、その日の光はそれとは反対に
地から天へと伸びている光のようだった。あの雲からあの光にそって天に昇って
いけそうな気がした。

夕方の空は、一刻一刻その姿、その色を変えて、目を離せない。私はその変化
を見ていたくて、立ちすくんでしまうことがよくある。そういう時、JOYはそん
な私の気持ちを理解してか黙って待ってくれる。

昨日の空も美しかった。そこは、家にごく近い見晴らしのいい場所だった。気
が付けば、そこは360度の空を見渡せる場所だった。こんなそばにこんないい
空があった。

美しいものを見つけられる日とそうでない日とがあるが、最近よく見つけられ
るようになったような気がして、うれしく思っている。

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 お題 「その日は近い」
 作品名「その日は、はたして・・・・ 」

あるところで聞いた話。
「ノストラダムスの予言は、ある意味では当たっているんですけれど、実際は
違うんですよね。それは、アメリカ政府によるある公式発表によって地球の
価値観が大きく変わることです。あることというのは、地球外生命体の存在
です。これはもうすでに実際に存在は確認されています。アメリカには、ET
を収容している施設があるんです。アメリカ映画でのETの存在は、実際の
事実に基づいていて、人々が突然驚かないように、慣れておかせるために
創られているんです。その日は、2013年です。」

ある人に聞いた話。
「今、物部氏が動き出そうとしているんです。この時期に地球に降りて来た
のは、ある使命があるからなのです。僕は今からアメリカとアイルランドに
行ってきます。そこで、その使命を思いだすかもしれません。物部氏は
○島神宮に関係しているので、帰国したら行こうと思っているんですけれど
一緒に行きませんか。」

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 お題 「破滅願望」
 作品名「これから」

もう随分前、子育て真っ最中の頃のこと、30過ぎて2歳違いで産んだせいか
エネルギッシュな男の子ばかりだったせいか、睡眠不足のせいか、体調の悪さの
せいか、その頃私はとても疲れていた。

毎朝、目が覚めると同時に“あぁー疲れたー”と感じていた。“あぁーまたつ
らい一日が始まる”と思った。
“起きたくない。このまま寝ていられたら、どんなに幸せなことだろうか”と
思った。“寝ていられるのだったら、入院してもいいわ。”とまで思った。

夜眠る時もそうだった。“このまま、目が覚めなかったらいいのに・・・”と
真剣に思った。でも、思ったけれど、願ってはいなかった気がする。3人の子ど
ものことを考えると、やはりそれは思うまでにとどまった。

今は能天気な私も若い頃は、けっこう思いつめたりもしたし、死にたいと思っ
たこともあった。でも、結果的には自分からそれを選ぶことはしなかった。

私は若い頃から思っていたことがある。それは、にこにこしたかわいいおばあ
さんになることだった。まだ、結婚もしていない若い時に描いた夢としては、ち
ょっと変わっていたのかもしれない。

数年前、美容室で順番を待っている私に美容室の方が薦めて下さった本があっ
た。それは、占いの本だった。かなり大きな厚い本で、ひとりひとりの違いが細
かく詳しい書かれていた。それによると、私は晩年がとても良く、こんなふうに
書かれていた。
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「青年のように若々しいおばあさん」になります。老人という言葉が似合わない
ほど、ルックスも肉体的にも精神的にも若さを維持できる羨ましい晩年ですから、
年齢通りには見られません。また、若い人と同じようにアクティブに動き、柔軟
な感性で年下の人たちにも好かれるでしょう。若い人たちのよき理解者、支援者
としても貴重な存在で華やかさに満ちています。趣味も広く心豊かで、優雅な晩
年期をエンジョイすることが暗示されています。
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それは、まったく私の理想だった。

今は、人生はこれからだと思っている。100歳、いや、ある説では、これから
130歳の可能性があるというから、130歳まで元気でいたいと思っている。


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お題 「プール」
作品名 「プールの監視員」

夏、洗濯物を干すと、同じTシャツが何枚もある。背中には、赤い大きい十が
あり、その上にWATER PATROLER とある。前にはそれを小さくしたものが胸の辺り
にある白いTシャツだ。
市営プールの監視員を上の子は高校生から大学生の2年くらいまでしていた。
そして、ちょうど入れ替わるように、真ん中の子が今、それをしている。二人と
も性に合って、けっこう楽しくアルバイトをしていた。

上の子がバイトを始めた頃は、今にしてみれば過保護な余計なことだったが、
私も天候のことや暑さやいろいろと気になっていた。呑気なあの子にはよく間に
合わないから送ってと頼まれて市営プールにも何度も送った。今日は、市営プー
ル、明日は○○小学校・・・とそういう情報もちゃんとつかんでいた。

真ん中の子は、小さい時から自立心があり、いい意味でも悪い意味でも何でも
勝手にする子だったから、幸いなことに私の出番はなかった。
しかし、去年のある日、バイトに出たはずの子が車で送られてきた。足には
包帯が巻かれ、松葉杖で帰宅した。友人のT君が、あの子の自転車を持ってきて
くれた。T君はとっても礼儀正しい子で、中学生の時から「Tと申しますが、○
介君、ご在宅でしょうか?」と電話してくる子だったが、直に会うのはその時初
めてだった。
詳しいことはよくわからないが、自転車で転んで、足の親指の付け根をざくっ
と切ってしまい、捻挫もしたということだった。その日は休日診療所で処置を受
けたが、さてどこに通院しようかと思った時に、近くの横柄な先生の医院や看護
婦さんが不親切な医院は避けて、少し遠いけれど、お医者さんも看護婦さんもや
さしく待ち時間も短いO外科にした。

しばらくは送り迎えをする覚悟ではいたが、この子は時間を守らずにずっと待
たせるのとそれなのにとっても偉そうで横柄な態度にはちょっとカチンと来たが、
それでも気の毒だと思って付き添った。

しかし、こともあろうに2日めに9年めの愛車は自宅の前で動かなくなってしま
ったのだ。JAFにお願いして近くのガソリンスタンドまでレッカー移動していた
だいた。その時JAFの車の助手席に乗せていただいて、気分がよかったのを妙に
よく覚えている。けれど、ガソリンスタンドから修理屋さんに回った車は直るま
で(部品の名前は忘れたがごく小さな部品だが取り寄せるのに時間がかかったの
か、直すのに時間がかかったのかはもうすっかり忘れたが)数日かかった。

その間、タクシーを使って、往復したら何と1回に4000円を越えた。時間もお
金も随分かけて、それでいて少しもありがとうと思わない子に付き添って、ちょ
っと嫌な気分だった。でも、こんな時だからと思い直したりしていた。
それなのに、あの子は3日めには、バンドの仲間に会いに暑い中を友人宅まで
歩いて行った。“えっー、なぁんだ”とちょっと不満な思いもあったが、逆に
それは私に有利な展開になった。

タクシーでの何日かを経て、修理を終えた車は無事動くようになったある日、
私は友人と約束があって、送ることはできても帰りまではいられなかった。それ
で、帰りはバスで帰ってほしいとお願いした時、あの子はしかたなく承諾をする
しかなかった。

けれど、その朝、バス停や時間がわからなかったので、待合室のおばあさん方
に伺った。
するとそのおばあさん方は、あの子を見てこうおっしゃったのだ。
「あらっ、きれいなお兄ちゃんだこと。」
“えっ?!”何かの聞き違いだろうかと思っていると、他のおばあさんが、ま
たおっしゃった。
「ほんと、きれいなお兄ちゃんだねぇ」
“へーっ、そんな見方があるんだぁー”
おばあさん方の心の広さ?を感じた。
上の子や下の子が、外見を誉められることは珍しくなかったが、あの子がそう言
われるのは初めて聞いたのだった。私は、あらためてそのニキビの顔を見た。

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お題 「納涼映画」
作品名「血の色」

昔、昭和30年代前半から半ば頃、小学校で映画を見た。講堂で見たこともあ
ったし、校庭で見たこともあった。いくつか観たはずの映画でなぜか印象に残っ
ている映画がふたつある。

ひとつは「あまんじゃくとうりこ姫」のお話。あの頃にしたら、珍しいアニメ
のようなものだったせいなのだろうか。よく覚えている。
うりこ姫に化けていたあまのじゃくがその被っていた衣をはらりと落とした場
面、あまのじゃくが木の上に上って、いなおり悪ぶっているような場面、何をど
う感じたのかわからないのに、もう40年も前のことなのに、鮮やかに覚えてい
る。

もうひとつは題名は忘れたが、今考えると、被爆者が主人公のドラマだった。
お祭りの日に、浴衣を着ていた十代の女の子が、たぶん白血病ということだった
のか、血を吐いたのだった。あの血の色が今も鮮やかに脳裏に焼き付いている。
お祭りの音を背景に、お祭りの賑わいを隣に感じながら、女の子は血を吐きなが
ら倒れた。その場面だけが、再び映画を観ているように甦る。

あの時、私は9歳だったから、昭和36年の夏だ。周りで戦争の話をする人も
いなかったし、原爆の話も聞いていなかったと思う。ただ、市の中心のデパート
の前には義手や義足を付けた白い帽子を被り白い服を着たおじさんが大正琴のよ
うなものを弾いていた。私は、その人たちのことが気になっていたが、両親は嫌
なものを見たとでもいうように不愉快そうに通り過ぎた。私は、そういう態度を
なぜか冷たいと感じていた。そういう私の気持ちに気付いてか気付かなくてか、
母は「あぁいう人はちゃんとお金をもらっているんだから!」と言った。しかし、
その時の私にはそれは何の説得力もない言葉だった。あの時、それに何の反応も
しない私だったが、心の内側では、両親の価値観に同意できないものを感じてい
たのかもしれない。

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お題 「*冷やす」
作品名 「ピンクのクーラーバック」(1)

三人三様というけれど、うちの息子たちはまさに三人三様だ。
長男は、世間の例に洩れず、おっとりとしていて、やさしく、親にも気を遣っ
てくれる。自分のことよりも周りのことをまず考えるようなところもある。違っ
た見方をすると、優柔不断だとも言える。自分の欲求はあまり強くなく、周りに
素直なところがある。
二男は、これも真ん中らしく自我が強く、自分のことばかり考えている。きつ
いことを平気で言うが、本音とたてまえとが一致していて、それ以上のことはな
く、お腹の中には何もないようなタイプだ。自分の欲求はとても強くて自分には
投資するが他人のことには力も貸さない。
三男は、とてもやさしいのだけれど、わがままで勝手なところもあり、本音と
たてまえは一致しないところがある。まるで根気がなくていきあたりばったりで
周りに流されっぱなし。自分のことにはまるで努力などできないのに、他人のた
めとなると一肌も二肌も脱いでしまう。

長男は初めての子だったし、どちらの家にとっても初孫だったために随分気を
遣って育てた。親が神経質になっていたせいか、赤ちゃんの頃はあまり眠らなか
ったり、病気や怪我をしたり、手がかかった。それでも一人なので、充分手をか
けることができた。
二男は赤ちゃんの時は、長男のようには手がかからなかったが、幼稚園に入っ
たころから、集団になじみにくく、不登校ぎみの時もあり、小学校の中学年まで
は随分心配をした。
三男は、周りに人がいればいるほど機嫌のいい赤ちゃんで、かわいがってくれ
る人なら誰でもよかった。自分よりいつもすぐ上の兄のわがままを優先していた。
幼稚園も小学校もまるで問題がなかったのだけれど、中学生になったら、それは
上の子たちには想像もできないほどの心配をかけるようになった。

久しぶりに長男が帰って来た。長男は小さい時からそうだったが、私が台所に
立っていると、「何か手伝おうか」と言ってくれる。他の人たちは、食事に呼ん
でもなかなか集まらなかったり、ただTVを見ていたりするだけだが、あの子が
どんどん運んだり片付けたりしてくれる。私が後から運んでいったお料理を乗せ
るスペースもさっとつくってくれる。長男と下の子たちとどちらが普通なのかわ
からないが、本人にとってはどちらにしてもそれが普通だと思っているらしい。
長男のしてくれることは、ささやかなことかもしれないが、ずっとあの子がい
なくて、そういうことをしないのが当たり前の子ども達と暮していると、そのさ
さやかなことがとてもうれしく思えた。

長男は、今電車に乗れば一時間のところに一人暮らしをしている。たまに宅急
便を送ったり、新宿や代々木上原で待ち合わせて冷凍食品を渡したりもしている
が、せっかく泊りに来たので、欲しいものは何でも持っていってねと用意した。
あの子も経済的に楽になるので、喜んで持っていく。「キャロットジュースは?」
「まだある」と言う。「お米は?」「重いからいいや。」「お肉は?」「欲し
い。」「クッパは?」「うん、前にももらったけれど、欲しい。」「バジリコソ
ースは?」「欲しい。」「あっ、これチンするだけのコロッケ。」「うん、欲し
い。」「これは?」・・・・「これくらい入る?」「うん、大丈夫」「アイスノ
ンある?普通の保冷剤とアイスノンとどっちがいい?」「うん、それじゃぁアイ
スノン」クーラーバックは、ピンクだった。「これでいい?」「うん、いいよ。」
恥ずかしくないのかなぁ?「何か袋に入れようか」「うん、そのままでもいい
よ。」「恥ずかしくない?」「うん」そうかぁ。「まあ、でもこれに入れていけ
ば、ねっ、こうしてこれでいいね。」「ありがとう」というわけで、あの子はた
くさんの冷凍食品を持って帰っていった。

駅にあの子を送ってから、そのままJOYのお散歩を兼ねて山の方の河原に行っ
て帰宅したら、留守電にあの子の声があった。「今着きました。どうもありがと
うございました。」一人暮らしも一年を過ぎて、随分しっかりしてきたように見
える。仕送りは経済的には大変だけれど、あの子のためには良かったみたいだ。


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お題 「*涼しい音」
作品名「ヒグラシの声に包まれる」

あまり暑いのと夏休みの息子たちに振り回されて心に疲れを感じて
いたので、山の中の河原でゆっくりしたいと思った。せっかくだし、
私も心強いので、JOYを乗せていった。

同じ市内でも、まるで端っこから端っこまでの移動でけっこう遠い。
市内に流れる3つの川のどの川の上流にしようかと考えた。2個所はけっこう
上流まで整備されているので、行きやすいけれどつまらない。やっぱりそのまま
の河原のところにしよう。

キャンプ場を過ぎて、舗装もなくなった山道を入っていく。細い道だ。ガード
レールがいやに低いのが気になる。湧水の水汲み場に登山者が休んでいた。そこ
も過ぎて、くねくねと登っていく。道路の真ん中あたりは水が流れたような窪み
がある。湧水から流れてきた水が湿ったところもある。
やっと目的地に到着。道路の広くなっている場所に車を停めて山道に入ってい
く。JOYの歩き方がいつもと違う。自分からどんどん歩く。JOYもうれしいのだ。
夏休みといっても、もう夕方だったので、人もほとんどいなかった。けっこう登
ってきたせいや森の中のせいか、涼しかった。遠かった瀬音がだんだん近づいて
きた。

今は、ほとんどの川をコンクリートで固めてしまっているので、流れも固定化
されているのだろうと思うが、本来、川はどんどん流れが変わり、川の位置も変
わると思う。一年ぶりに行ったその河原は随分変わっていた。その間の自然の力
をしみじみと感じさせられる変化だった。人間にはどうすることもできない自然
の力を感じてうれしかった。
ごろごろとした石の河原の中を細い流れがある。以前は、離れて二本の流れが
あって、渡るにも靴のままでは渡れなかったが、その日はひとつしかなかった。
そんなに水量もないが、それでも、靴のままでは無理なところがあった。見渡し
て何とかそのままで跳べば渡れるところを見つけて跳んだ。JOYは、そんなとこ
ろはじゃぼじゃぼと入ってしまう。そんな姿を見るとうれしくなる。

しばらく行くと、まだ子ども達と一緒に行動していた夏に遊びに来た見覚えの
ある岸や岩があった。この岩の下で誰かが魚を見つけたっけ。あの岸には、椅子
を置いて、足を水に浸していたっけ。この辺りではバーベキューをした。材料を
運んでくるのも、焼くのもなかなか大変だった。この辺りではJOYを遊ばせた。
投げたボールをとってきたっけ。

タオルはハンドタオルしかないけれど、JOYのタオルもあるし、何とかなる。
靴を脱ぎ、靴下を脱いで、水に入った。そんなに冷たくない。石がごつごつして
いて、歩きにくい。JOYも歩きにくそうにくっついてくる。そうだ、ボールはな
いけれど、棒を投げてあげよう。
「ほらっ、JOYちゃん、とってきて」
JOYはうれしそうでなく、仕方なしに行こうとする。JOYはリトリーバーだから、
投げたものは、好むと好まざると取りに行く、そういう血があるのだ。それでも、
流れや深さのあるところには行けない。ご先祖は水に落ちた獲物を捕ってきた猟
犬なのに、JOYはお腹が濡れるのが嫌みたいだ。水は好きじゃないみたいだ。無
理をさせてもかわいそうなので、終わりにする。

誰もいない山中の河原で、上を眺めると、夏の空が広がっていた。曇り空だっ
たが、その雲もみるみる流されていく。小さな青空が覗いた。きれいな青だ。
その青に向って、歌を歌った。気持ちがいい。だんだんその小さな青空が広がっ
てきた。自分自身の中心に戻っていく感覚がする。自然に満たされて、ゆるゆる
と心が緩んでいく。

鳥が上空を過ぎった。時計を見ると、もう帰らなければならない時間だ。靴を
履き、帰り仕度をした。また流れを越えて行かなければならない。不安定な流れ
の大きな石の上を用心しながら渡った。
JOYは、気に入って帰ろうとしない。伏せをしてしまった。声をかけても引っ
張っても動こうとしない。こうなったら、こうするしかない。リードをはずして
「おかあさんは、帰るね。バイバイ。」
すると、すくっと立ってすぐ傍に来た。それからは、もういつものJOYに戻って
ちゃんといい子で歩く。

道路までの森の中を歩いて行くと、瀬音がだんだん遠くなり、ヒグラシの声が
大きくなってきた。カナカナカナカナ・・・・・カナカナカナカナ・・・・・・あちこちか
ら重なって聞こえてくる。カナカナ・・・・・カナカナと次から次へカナカナが重な
っていき、森中ヒグラシの声に包まれているようだった。

*-------------------------------------------------------------------*

お題 「肩こり」
作品名 「不思議大好き」

社会というものに出たばかりの頃、私は肩凝りもひどく血圧も高かった。
最近は家の中で呑気に暮しているせいか、血圧はむしろ低血圧気味で、肩凝りも
困るほどのことはない。5月に調べていただいたデータでは、ストレス度も標準
よりも随分低かった。

しかし、夏休みに入ってからリフレクソロジー(足反射区療法)を受けた時、
「肩が凝りませんか?」と言われた。特に自覚はなかったが、治療師の方も中高
生の息子さんがいらして、そういう話をしていたせいもあってか、「そのせいか
もしれませんね」と言われた。そうかもしれないなぁと思った。

さらにここ数日、いつになく肩が凝っている。何のせいなのかと考えたら、
その数日は、ずっと夫と行動していたことに気付いた。えっ、そうなのだろう
か ・・・・ 一緒に温泉に行く時には、私が運転して助手席に夫がいた。私は、
気に入った音楽を聞きながら、歌ったりもしていたが、その数日前にJOYと行っ
た時のようには開放的に楽しめなかった。JOYと一緒なら大声で歌っていた歌も、
夫が隣にいると、ちょっと控えめになってしまう。当たり前かもしれないし、
問題かもしれない。

先日、友人のお薦めのマッサージに予約の電話をした。
「どいうい症状ですか?」
「足と肩です。」
「短いズボン、ありますか?」
「はい。」
「それとTシャツを持ってきてください。」
「そちらで着替えるのですか?」
「電車の中で着替えて来られてもいいですけれどねぇ(笑)」
ということで、短パンとTシャツを持って元町まで出掛けた。

電話の感じもとてもよかったし、友人から不思議なこともいろいろと聞いてい
たこともあって、とても楽しみだった。
初めてのところなので少し早く着くように行った。まだ、30分の余裕があった
ので、セルフサービスのコーヒーショップに入り、サンドイッチとコーヒーで遅
い昼食をとった。
食べながら、半地下のコーヒーショップから外を眺めると、切り取られた狭い
空間をひっきりなしに人が行き交っている。そんな光景をどこかよその世界のよ
うに感じた。

治療室は、元町の雑居ビルの小さな一室なのだが、なんともいい空間だった。
Kさんは、すばらしい能力とクリアな魂の持ち主だった。神様からメッセージを
受け取れる人だった。それでいて、というか、それだからなのだろう、謙虚で気
持ちいい人だった。

Kさんは、全く身体に触らずに治療もできた。Kさんが、空を切るように手を
動かすと、空気が動き、爽やかな風を感じた。Kさんは、「手をお借りします。」
と私の右腕を持ってぐるりと回した。後方に手が行く時、腕は外側に45度くらい
傾いていた。要するに、肩を軸にして身体に沿ったきれいな円を描けないのだ。
Kさんは「今、こうなっていますね。」
とおっしゃって、空を切るように手を動かした後、また私の腕を回した。すると、
今度は楽々と肩を軸にして身体に沿ったきれいな円を描けるのだった。
次に、うつ伏せに寝て、膝を曲げてかかとをお尻に付ける。左は付くが、右が
付かない。軽く握りこぶしが入ってしまう。やっぱりだ。

私は右側に問題があることは以前から充分認識していた。柔軟体操をしたり、
あぐらをかくように結 足加 足夫 坐 (ケッカフザ)(なぜか漢字検索の文字挿入が
できないので)のような形をとったりすると、右の膝が極端に上がってしまって、
ずっとその姿勢をしていると膝や付け根が痛くなっていた。
ところが、Kさんが同じように手を動かし、涼しい風を感じたと思ったら、次
には、もう簡単に左と同じようにちゃんとお尻につくようになっていた。

そんなふうに、実際身体もどんどん変化していくのだが、Kさんはもっと不思
議なこともなさるのだった。
「massageとmessageは一文字しか違わないんだよね。」
とKさんがおっしゃっるので、二人で笑ってしまったが、神様からのメッセージ
を伝えてくださるのだ。私が描いている将来のビジョンに対しては、こうおっし
ゃった。
「周りのことばに乗せられないで、経済的な基盤を作るようにおっしゃって
いま す。」
それは、確かにそうかもしれない。

次に、疲れなのか背中が硬くなっていたので、マッサージしていただいたが、
その時、Kさんは
「金色の光が出ています。」
とおっしゃった。
“えっ?”
「私から です か ?」
「はい。 金色のきれいな光です。」
「人によっていろんな色があるんですか?」
「そうですね。 金色はめずらしいです。 感謝ですね。」
とおっしゃった。
“はぁー”
「そうですか。」

Kさんは粒子とおっしゃっていたが、私はこの頃、相手のエネルギー(氣・波動)
というかそういうものにとても敏感になって、合う人や合うものはとても気持ち
いいのだけれど、そうでないものはとても嫌な気がしている。そういう感覚とい
うのは、善悪正邪とかではなく、ただ感じるもののようなのだ。頭とか判断を越
えて、感覚が優先するのだ。

「windさんは、相手の氣を受けやすいので、いいところにいるようにした方が
いいですよ。」
「はい。そうなんです。これまで、~(いろいろ)こんなこともありました。」
「でも、家の中で、家族の場合はどうしたらいいのでしょう。」
「それでは、ご自分でできる方法をお教えします。自分にもいいし、相手にも
いい方法です。」
と、悪いものだけ出してしまい、いいものは残し、身体も緩める呼吸法や、
自分が誰かに治療してあげた時、相手の痛みなどを受け取らない方法も教えて
いただいた。

Kさんは、もう観念とか判断とかを超えている感じで、透明感のあるさわやか
な方だったし、一緒にいるととても気持ちよかった。
Kさんの守護神さまは、太陽神なのだそうだが、私もまた同じ太陽神なのだそ
うだ。その太陽神にどんなふうに向き合ってどんなふうにメッセージを受け取る
か、その確認のとり方もも教えてくださった。

「Sさんに見せていただいたんですけれど、あれ、すごいですね。とっても
きれいでしたね。」
「あれね、おじいさんを散歩に連れていったときなんですけれど、そう言われて
いたので、カメラは持っていったんですけれどね、『写して』という言葉が
あったので、撮ったんです。お花の精霊は、いるんですね。」
あれというのは、写真のことで、バラ園のバラの上に強く輝く円い光があって、
白い蝶のようなものも写っているものだった。
Kさんは、帰る時、焼き増しできるからとおっしゃって、そこにあったその
写真を2枚くださった。

そして、「こうしていると、とてもおもしろいことがあるんですよ。先日も
親子だった人が来てくれました。」とおっしゃるので、「私は、どうなのでしょ
うね。」と言うと、「ご自分でわかるでしょう。私の方では、3つ前に旅先で
出会っているとおっしゃっていますよ。」と 、にこりとされた。
なるほど、以前からお互いが知っていたような感覚やお話も気持ちもよく通じる
のは、そういうわけだったのか。

たった一時間なのに、心身ともにリラックスでき、半日も一日もそこにいたよ
うなとても充実した時間だった。とても気持ち良かった。その時、ちょうど次の
方がいらした。
「なんでもききたいことがあったら、電話してくださいね。確認は複数でした
方がいいですから。」
「はい。ありがとうございました。」

帰り道を歩きながら、自分の内側からあふれてくる喜びをしみじみと感じた。
生きていることだけで充分楽しい気がした。

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お題 「麦わら帽子」
 作品名「麦わら帽子を被っている写真」

一番古いアルバムは、そのほとんどが白黒写真だ。帽子を被って写っている
写真は、それほどない。
その中に、出始め頃のカラー写真で大きな麦わら帽子を被っている写真がある。
後ろの建物は昔の木造校舎のような造りで、「赤城村南公民館」「心配ごと相談
所」という看板がかかっている。18歳の夏、児童研究部の合宿を兼ねた赤城村子
ども会での写真の一枚だった。その他の写真は、自分の布の帽子を被っているの
に、その一枚だけは農作業をする時に使うような大きなつばの麦藁帽子を被って
いた。他に同じような帽子を持ったり、被ったりしている人がいるので、それは、
村のものだったのかもしれない。

昭和40年代半ば、まだ田舎はのどかだった。もちろんTVはあったし、
ちょうど出版社からの寄付で子ども達にプレゼントしていた「少年○○」といっ
た週刊漫画の表現が過激になってきた時期だった。私達はそれをプレゼントする
かしないかについて真剣に話し合った。そして、話し合いの結果その年からプレ
ゼントするのを止めたのだった。それでも今のようにまだTVゲームはなかった
せいなのか、時代だったのか、私達の子ども会を楽しみに待っていてくれる子ど
も達がたくさんいた。

私達は、宿泊させていただいていた公民館と、そこから20.30分くらい歩
いた先の神社の傍の集会所のような崩れそうな建物の二階の2個所で子ども会を
開いていた。私はいつも神社の方だった。
朝は、その二階で勉強をみてあげて、その後、人形劇をしたり、ゲームをした
り、神社で鬼ごっこをしたり、そんな毎日だった。今、写真を見ると、神社で写
っている写真には35名くらいの子ども達がいる。私の背中には、男の子がへば
りついていたりする。

そして、さらに期間中の一日だけをじゃんけんで勝ち残ったメンバーがもっと
奥まで何時間も歩いて行かなければならない小さな分校に行った。私も運よく勝
ち残り、分校に行ったことがある。学校は、その日を登校日にして、学校ぐるみ
で私達を迎えてくださった。先生も用務員のおばさんも歓迎してくださって、宿
直室のようなところでお茶をいただきながら、イナゴの佃煮を恐る恐る食べた記
憶がある。分校の子ども達は、神社に集まる子ども達よりもさらに素朴だった。
校庭で一緒にラジオ体操をし、ドッチボールをし、だるまさんがころんだをし、
教室で、人形劇をさせていただいた。
写真の中の子ども達は、人形劇を見ている瞳が真剣そのもので、私達にあいさ
つしてくださる姿には緊張と敬意が表われている。たかが学生の活動にこんなに
ちゃんと向き合っていただけたことを今も幸せに思っている。

イナゴの佃煮の他にも、あの夏初めて出会ったものはいくつもある。
炊事をしていた台所の窓から男の子が差し出してくれた山椒の実の佃煮。
ご近所の農家の方からいただいた太くて大きなきゅうり。
道路にたくさんいた雨蛙。
おトイレをお借りした農家の庭にいたお蚕さんがバリバリと葉っぱを食べる音。
女の子が手に持っていたお蚕さん。
帰りに子どもがくれたクワガタ。樹になっている青いクルミ。
写真には写っていない思い出がいくつも胸の中にはっきりある。

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お題 「川」
作品名「川の位置」

東京で用事のある友人が、その用事の前に時間があるという。さて、どこで
会ったらいいのか、どこへ行ったらいいのかと考えた。東京の気持ちいいところ
なんてあまり知らない。
いまのはのオフ会で行った後楽園と深川が浮かんだ。初め、後楽園にしようと
思った。池もあるし、水が流れているから涼しいかもと思った。けれど、そこだ
けでも・・・と思った。
次に、深川がいいかなと思った。江戸情緒とか古いものが好きかもしれない。
芭蕉記念館もあるし、お昼ご飯は深川丼がいいかな・・・と考えて、18番会議室
のログを見た。森下町で待ち合わせればいいかということで、深川にした。  
 
約束の時間よりも一時間早く着いてしまった。実は出掛けまで12時の約束だっ
たが、朝メールを開いたら、「寝不足で起きられないかもしれないので、できた
ら2時にしてほしいと」いう旨のメールが届いていたのだった。でも、家でその
時間を埋めるよりも出かけた先でゆっくりと本でも読んだ方がいいと思い、故意
にそうしたのだった。
駅の近くの喫茶店で本でも読んでいようと思っていたが、そうはいかなかった。
地下鉄の出口というのは、まるでどこでもドアででも来たかのように、突然思い
がけない街の一角に出て来る。
私は、そんなに方向音痴ではないけれど、都会に来ると、さらに地下鉄では、
まるで方向がわからなくなってしまう。山もなければ川もないし・・・あっ、川が
ある。川と何かわかりやすい建物か看板を記憶にとどめるように意識して行動し
なければならない。

出口から路上に出ると、暑い。かなり暑い。見渡しても、喫茶店どころか、中
で涼んでいられるような本屋さんもスーパーマーケットもなかった。
しかたがない、後で炎天下友人と迷うのは嫌だったので、その時間を利用して
下見をしておこうと思った。以前オフ会で一度来たものの、着いて歩いたという
感じでうろ覚えだった。
まず、芭蕉記念館、そして深川丼を食べさせてくれるところを確認しておきた
かった。案内板をさっと見て歩き出した。さっと見るだけでちゃんと見ないのが
私らしいところだ。土地鑑がないのに、勘に頼ろうとする、そういうおかしなと
ころがある。その程度の勘を働かせて川の位置を頭に入れて歩き出した。

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